見知らぬ人から約31,000ビットコインを集めた19歳と、その後の物語
2014年、まだ完成していないプロジェクトに、見知らぬ世界中の人が約31,000ビットコインを託しました。旗を振ったのは19歳のヴィタリク・ブテリン。これが、イーサリアムの始まりです。
ビットコインの「もったいない」から始まった
ブテリンがビットコインを知ったのは2011年、17歳のころです。父親に教えられてすぐ夢中になり、専門誌「ビットコイン・マガジン」の創刊にも関わりました。
ただ、深く知るほど「ここがもったいない」という気持ちが膨らみます。ビットコインは「お金を送る」ことに特化しすぎていて、それ以外をやろうとするとすぐ限界にぶつかる。もっといろいろ動かせる仕組みにできるはずだ、と。
2013年末、その考えを「イーサリアム」という新しいブロックチェーンの提案書にまとめます。翌年には大学を中退し、開発に専念する道を選びました。
ICO:前例のない資金調達
提案書は世界中の開発者に驚きをもって受け取られ、賛同した仲間が集まります。資金調達に選ばれたのが「ICO(Initial·Coin·Offering)」でした。
株式でも銀行融資でもなく、将来発行される通貨ETH(イーサ)を前払いで売り、世界中から出資を募る。当時としては前例のほぼない方法でした。それでも、約31,000ビットコインが集まります。
2015年7月、イーサリアムは正式に稼働を始めます。「プログラムが動くブロックチェーン」という構想が、現実のシステムになりました。
The·DAO事件が問いかけたもの
ところが翌年、大きな試練が訪れます。当時、イーサリアムの上に「The·DAO」という仕組みがありました。プログラムで自動運営される資金共同管理の試みで、世界中から約1.5億米ドル相当が集まるほど注目されます。
2016年6月、そのコードの抜け穴を突かれ、約6,000万米ドル相当のETHが流出します。コードに問題があったのは明らかでした。でも、もめたのはそこからです。「どう対処するか」でコミュニティが割れました。
一方は「ブロックチェーンの記録は書き換えてはいけない。それが原則だ」という立場。もう一方は「被害者を救うために、例外的に記録を直すべきだ」という立場。どちらも筋は通っています。
最終的には、多数がハッキング前へ記録を巻き戻す対応を支持して決着します。納得しなかった人たちは修正前のチェーンを使い続け、こうして「イーサリアム」と「イーサリアム・クラシック」に分かれました。「コードは法律なのか、人間が決められるのか」。この問いは、今も語り継がれています。
その後の歩み
その後もうねりは続きます。2017年には「ICOブーム」が起き、多くのプロジェクトがイーサリアム上でトークンを発行して資金を集めました。詐欺的なものも多く混ざり、規制の議論を呼びます。
2020年ごろからは「DeFi(分散型金融)」、2021年には「NFT(非代替性トークン)」が相次いで広まります。どちらも、条件が揃えば自動で動くプログラム(スマートコントラクト)の上に成り立つサービスです。2022年には「マージ(The·Merge)」で、稼働を止めずに根本の仕組みを切り替え、消費エネルギーを大幅に減らしました。
動き始めてから、およそ10年。手数料の高さや処理速度など、課題は今も残っています。それでも、「ビットコインに物足りなさを感じた19歳」が描いた「お金以外にも使えるブロックチェーン」という構想は、いくつかの形で現実になりました。
その道のりには、技術だけでなく、「ルールを誰が決めるか」「コードに失敗があったとき誰が責任を負うか」という人間的な問いも含まれていました。暗号資産の話でありながら、どこか人間くさい。そこが、イーサリアムの歩みの面白いところです。