ビットコインは突然生まれたわけではない(後編):天才が一人で作った、わけではなかった
ビットコインは「サトシナカモトが一人でゼロから作った」と思われがちです。でも実際には、先人たちが残してきたアイデアや技術が積み重なり、2008年に公表されたホワイトペーパーでひとつの設計としてまとまりました。
デビッド・チャウムの先見と限界
デジタルなお金を作るのは、思った以上に難題でした。ネットの世界では、データはいくらでもコピーできます。でも、お金までかんたんにコピーされたら困る。しかも、誰か一社に全部を任せるのも避けたい。できればプライバシーも守りたい。
早い段階でそこに向き合っていたのが、デビッド・チャウムでした。プライバシーを重視した電子マネーを考え、その流れはのちのDigiCashにつながります。発想はずいぶん先にありました。ただ、ここには発行や運営の中心となる主体がありました。こうした仕組みでは、その主体に依存しやすいという課題が残っていました。
バック・ダイ・サボ・フィニー:4人が残した部品
次に出てくるのが、アダム・バックのHashcashです。これはもともと、お金の仕組みではありません。迷惑メール対策です。メールを送る前に少し計算させて、送りすぎを防ぐ。今見ると「それがどうしてビットコインに?」と思うかもしれませんが、この小さな発想がのちのプルーフ・オブ・ワーク(PoW)につながっていきます。マイニングの遠い祖先がスパム対策だった、というのは少し皮肉の効いた話です。
1998年には、ウェイ・ダイのb-moneyが出てきます。中央の発行者に頼らず、お金を作って、やり取りして、契約まで回したい。野心的な設計として提案されました。
その流れの中で、ニック・サボのBit Goldも外せません。デジタル世界に、金のような希少さを持ち込めないか。作るのにしっかりコストがかかるからこそ、価値の手がかりになる。ビットコインに通じる発想の片鱗は、この時点ですでに見えています。
そして、ハル・フィニーのRPOWまで来ると、一気に輪郭が出ます。計算して作った証明を、一回きりで終わらせず、受け渡しできるようにする。部品が、だんだん揃ってきました。でも、まだ世界中で動くお金になる最後の一歩は残っていました。
2008年、バラバラだった答えがひとつに
そこで、2008年に公表されたビットコインです。ここでゼロから魔法が起きたわけではありません。それまで別々に置かれていた部品が、ようやく一台の乗り物としてつながった。
プライバシーを重視したチャウム。計算コストを持ち込んだバック。分散型のお金を描いたダイ。デジタルな希少性を磨いたサボ。それを動く形に近づけたフィニー。ビットコインは、そうした先行するアイデアを組み合わせて形にしたものとして理解できます。
だからビットコインのすごさは、「最初だったこと」だけではありません。すごいのは、「今までバラバラだった答えを、ようやくひとつにつないだこと」です。天才のひらめきというより、電子的なお金をどう成立させるかをめぐる長い試行錯誤の集約。その試行錯誤が一つの形として結実したのが、ビットコインです。
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