クリプトコラム

窓ぎわの箱だけで、街の電波網は作れるか

公開日2026年09月28日

携帯の電波網は、通常、通信会社が鉄塔を建てて作ります。それは莫大なお金がかかる仕事(事業)です。いっぽうで、住民が窓ぎわに小さな箱を置くだけで、同じような性能を作れないか。そう考えた人たちが実際にいました。お礼は、独自のコイン。2023年3月末までに、世界で99万台を超えるホットスポット(通信デバイス)が登録されました。

基地局を、持ち寄る

ヘリウム(Helium)という仕組みの発想はシンプルです。参加者は、小さな箱のような機械を買って、自宅の窓ぎわに置きます。ホットスポットと呼ばれるこの機械が電波を飛ばし、近くを通る位置情報端末や環境センサーなどの通信を中継する。その働きに応じて、HNTという独自のコインが配られます。

通信会社が鉄塔を1本ずつ建てる代わりに、住民が1台ずつ持ち寄る。1台がカバーできる範囲は小さくても、集まれば面になります。会社の設備投資ではなく、個人の持ち寄りで、電波の地図が塗られていったわけです。

近くのホットスポット同士が互いに電波を確認し合う

ただ、この仕組みには急所があります。コインが目当てなら、電波を出しているふりだけして報酬を受け取ろうとする人が、きっと出てきます。まじめに電波を出している機械と、そうでない機械を、どう見分けるのか。

ヘリウムの答えは、ご近所の目でした。ホットスポットは定期的に小さな信号を発し、近くの別のホットスポットが「確かにそこから届いた」と記録する。参加者どうしを、互いの証人にする仕組みです。

それでも、ズルは出ました。よく知られているのが場所の偽装です。ほんとうは一つの部屋に数メートル間隔で並べてあるだけの機械を、屋外で何キロも離れて置かれていることにする。ヘリウムでは、まわりに機械の少ない土地ほど報酬が厚くなります。だから、電波の空白地帯を埋める貴重な1台のふりをすれば、取り分が増えるのです。

ズルが疑われる機械を締め出すリストは、参加者の投票を経て作ることが決まり、ヘリウムを開発してきた会社、ノバラボ(Nova Labs)が管理しています。リストに載った機械は、ほかの機械から証人として扱ってもらえなくなります。そのリストは更新され、偽装の手口もまた更新されていく。どこまでを不正と見分けられるか、そのせめぎ合いは今も続いています。

置いた人の手元に、何が残ったか

ここが、微妙なところです。もともとは、通信の利用料でまかなう構想もありました。でも実際に配られたコインの多くは、新しく発行されたコインです。しかもその発行量には上限があり、2年ごとに半分へ減っていく設計でした。配る量が決まっているところへ、置かれる箱だけが増えていく。一台あたりの取り分は、薄まっていきます。

結果は、置いた時期と場所で大きく割れました。さきほどの、まわりに機械の少ない土地ほど報酬が厚くなる仕組みです。早い時期に、そういう土地へ置いた人ほど、取り分は大きい。逆に、ブームで台数が増えてから混み合った場所に置いた人の取り分は、薄いままでした。同じ2023年3月末の時点で、登録された99万台のうち、直近1か月に電波を出していたのは45万台あまり。登録の半分は、電波を出していませんでした。

しかも、配られるのは値動きの激しいコインです。受け取った時点の価値が、そのまま続くとは限りません。電波を出した働きへの対価は、いくらになるのか。それは置いた時期と場所しだいで、まるで違いました。

報告が多すぎて、ブロックチェーンを引っ越した

もうひとつの壁は、記録の量でした。動いている45万台が、それぞれ「いまも動いています」という報告を、一日中送り続けます。

ヘリウムは当初、自前のブロックチェーンで動いていました。その処理能力は、1秒あたり10件ほど。数十万台の機械が毎日やり取りするには、足りませんでした。

そこで2023年4月、ヘリウムは記録の置き場所を、より大きな規模に耐えるとされるソラナ(Solana)へ移しました。自前の細い道を手放して、車線の多い幹線道路に乗り換えたわけです。

通信網はできた。では、使われたか

ヘリウムの成績表は、まだら模様です。地図の上の網は世界中に広がったのに、2022年ごろには、肝心の通信があまり使われていない、という指摘が根強くありました。2022年8月から10月にかけて、通信の利用料として実際に使われたのは、月に2,000米ドル足らずでした。網を張る競争は盛り上がったのに、網を使う人が追いつかなかったのです。

ヘリウムはこのころから、この網を実際の携帯電話サービスにつなげる方へ動き始めます。2024年7月に10万件だった申し込みは、2025年5月に25万件を超えました。

そして2026年6月、その携帯サービスは、2025年にできたばかりの携帯会社ノーブル・モバイル(Noble Mobile)に買収されると発表されました。条件は公表されていません。売られたのは携帯サービスのほうで、コインを配る仕組みは、この買収では変わりません。買い手はヘリウムの網をそのまま使って通信を届けます。網を借りる相手は、ほかにもいます。大手の通信会社が、自社の電波が届きにくい場所を埋めるのに、この網を使うようになりました。

網を張ったのは個人で、その網で商売をするのは会社。網を張る競争の盛り上がりに、網を使う人が追いつくのか。その勝負は、これからです。

それでも、ここで試されたことは残ります。大企業でも国でもなく、コインのお礼で集まった個人が、街のインフラを下から作れるのか。ヘリウムは、その大がかりな実験のひとつでした。まだ、その答え合わせの途中です。